気仙沼 [ひとり言]
いつだったか。
亡くなった義妹の思い出を書いたことがあった。
義妹が肝臓癌で亡くなってから…。
昨年の12月で3回忌になる。
享年42歳。
癌が見つかってから、1年と早い死であった。
義妹は、高校時代の同級生と結婚し、
ボノ父の生まれ故郷に住んでいた。
二人の男の子がいて、よいお母さんであった。
その子たちが生まれる、ずっとずっと前のこと。
私も、義妹も、まだ20代の前半頃。
義妹には、付き合っている彼がいた。
たぶん、以前にも書いた事があると思うが。
本当に、仲が良くて、いつも一緒にいた、ふたり。
よく、ボノ父の実家に集まって、4人で一緒に遊んだものだ。
K君、K君、と呼ばれていて。
おっとりしたお坊ちゃんタイプだったと記憶している。
怒る姿など、見た事がない。
とても、やさしい子だった。
福島県にあった、歯科大生。
彼には、少し柔らかい感じの、東北なまりがあった。
無理もない、後から聞いたら…。
出身は、気仙沼だという。
妹と彼は、何年付き合っただろう。
10年近くかな。
回りは、てっきり結婚するのだと思っていた。
もう、みんな、すっかり家族の気分になった頃。
あえて何が、あったのかは、書かないでおこうと思うが。
彼が、大学を卒業し、大学院へ進んで。
その後、歯医者の研修医をしていた頃。
ふたりは、突然別れた。
妹の哀しむ姿は、今でも忘れられない。
当然、それから彼と、私たちは音信不通になった。
気仙沼。
いつも、地名を聞いては、思い出していたが。
もう遠い昔のことになっていたし。
どこで、何をしているかなんて、自分には、知る由もなかった。
3月11日。
津波が気仙沼を襲った。
黒い濁流が、街を飲み込んでいる映像が写る。
街に火がついて。
黒い水と、真っ赤な炎が、一面に広がっている。
衝撃的だった。
気仙沼。
確か?と思った。
震災があって、半月がたった頃のこと。
実家の義母からの電話で知った。
「お母さん、気仙沼は津波が酷かったけど。」
「K君は?どうなったかな~」
突然、義母が言った。
「K君は、亡くなった。」
「携帯で確認したら…。」
「本日、実のお姉さまがご遺体を確認されました。」
と、メールが返ってきたと…義母が言う。
K君が、あの日、津波で亡くなった。
奥さんと娘さんと両親を残して…。
まさか、K君が、亡くなるなんて、思ってもいなかった。
享年44歳…たぶん。
聞くところによれば…。
K 君は、気仙沼の実家の病院近くに歯医者を開業し。
そこで、家族と暮らしていたそうだ。
家は、海のすぐ傍だったのだそうだ。
あの頃4人で遊んでいた、K君とMちゃんは…もういない。
なんだか悲しかった。
K君…。
怖かったでしょう。
あんなに大きな津波に…のまれるなんてね。
K君…。
無念だったよね。
気仙沼…。
これからもずっと、思い出してしまうだろう。
あのサイレンと、激しい津波の映像。
今でも強烈に瞼に残る。
K君。
どうか、安らかに…。
心の底から祈ります。
コメント 0